武道、武術、格闘技について今思うところです。。。
いずれにせよ、クリフハイさんがおっしゃるように、空手でも合氣道でも、何かしら身を守る術はあった方が良いです。
和多志は武術家ではないので、超専門的なことはわかりませんが、それなりに格闘技系のものには関心があるので、今思うところを述べてみたいと思います。
Qの話を追っていると、カルトと武道との関わりについての問題が出てきます。
合氣道創始者の植芝盛平は、大本教の影響を受けているようですし、空手(唐手)も仏教と関係していそうです。。。
海外の格闘技でも、ムエタイは仏教、カポエイラはウンバンダ、少林寺は仏教、システマはロシア正教など、完全にスポーツ化されたボクシングのようなものでない限り、何かしら精神的な信仰のようなものと関わりを持っているようです。
そのような理由で、武道はカルト、という見方もできなくはないのですが、個人的には一刀両断できない氣持ちがあります。。。
和多志は、少林寺の氣功を学んだ経験があります。確かに仏教の影響が強いですが、仏教徒にならなければいけないわけでもありません。
また、日本の武道の場合は、大陸由来の人種による影響が強いのでは、という声もあります。神道自体が実は朝鮮の影響を受けたカルトだとすると、相撲なんかはカルト武道と呼ぶこともできてしまうのですが、もともと日本にいた日本人も相撲なり柔道なり空手なりをやっていたわけです。。。
武術、武道、格闘技の性質的なところに着目すると、仮に合氣道の創始者がカルトと関係があったとしても、やはり日本人らしい武道だな、とは思います。
いわゆる柔術というものです。
よく知られている柔術系の格闘技は、
あたりだと思いますが、これらは
いずれもルーツは日本の柔術になります。サンボもブラジリアン柔術も日本の柔道が元です。
なので、「柔術」という戦い方自体が「日本的」なんだと思います。
柔術系の格闘技は相手の力を利用して相手を制し、破壊のみを目的としたものではない
ところが大きな特徴だと思います。
一方、海外由来の格闘技、ムエタイとか中国武術とかカポエイラなどは、いずれも打撃技が主で、相手を破壊することで勝とうとします。
考えてみると、仮に柔道がカルトだとすると、そこから派生したロシアのサンボやブラジリアン柔術もカルトということになってしまいかねません。。。
どちらかというと、武道、武術もっと言うと戦い方は、個人的には宗教よりも国民性の影響の方がより強く反映されるな、と思います。
例えばですが、中国の武術はいずれも手数が多く攻撃的で先手必勝的なところがあるように思います。
しかし、それは武術に限らず、中国の戦い方として、バレーボールでも卓球でも「速攻」に特徴があるように思います。
中国の国民性が表れていると思います。
さらにもっと言うと、人の性質、性格が戦い方に色濃く反映されるな、とも思います。
例えばですが、同じ柔道でも、力任せに戦うパワー柔道もあったり、相手の動きをかわし、相手の力を利用して戦う柔道もあったりするわけです。
もっとも、競技として成り立つように柔道がスポーツ化してしまったから、そうなってしまったところはあると思います。
もし、競技でない形で戦った場合は、本当に技の立つ小柄な人が、大きな相手を制することが普通に見られると思います。
(「柔道」ではありませんが、ヒクソングレイシーがまさにその一例を見せてくれたんだと思います)
また、柔術系の格闘技でも打撃系の格闘技でも、「護身」として防衛的に戦うことも、「破壊する」ために攻撃的に戦うこともできると思います。
アーネストホーストというK-1で有名なファイターがいましたが、ローキック主体の戦い方で、個人的にはあくまで「スポーツ」として戦っていたような印象があります。
相手を徹底的に叩きのめすのではなく、ルールに従って「試合に勝つ」ことを念頭に戦っていたんだと思います。
確か、アーネストホーストが佐竹雅昭をハイキックでKOしたときも、「あの蹴りは見えなかったはずだ、コツンと当てただけ」のようなコメントをしていたように記憶しています。本氣でやったら、殺人者になってしまうからと。。。
アーネストホーストのように、打撃系の格闘家でも加減を知っていれば「護身」程度の使い方もできるはずなんです。
ブラジリアン柔術のヒクソングレイシーも相手を不具にするような勝ち方はしなかったように思います。その氣であれば、相手の身体を破壊してしまうこともできたはずなんです。。。急所以外はほぼなんでもありの戦いでです。。。
また柔道では韓国の選手が日本の斉藤仁の肘を破壊しました。柔道、柔術系の技は禁止されているものが結構あって、基本的には危険なんです。。。
結局、
その人がどういう人かということが重要
なんだと思います。
どの武道、格闘技をやっても、カルトな人はカルトチックに、横暴な人は横暴に、優しい人は優しく、やるんでしょうね。。。
ちなみにですが、上記はあくまで「戦い方」についてです。
システマのマスターは、「戦いの技術と殺しの技術は全く違う」とコメントしています。。。
でも「殺し方」もその人がどういう人なのかが現れるんだと思います。
カルトな人はカルトチックに、残虐な人は残虐に、優しい人は優しく、殺るんでしょうね。。。
いずれにせよ、もうたくさんの外国人が日本に入り込んできていて、いろいろな事件も起き、治安が悪くなってきています。
クリフハイさんがおっしゃるように、空手でも合氣道でも、何かしら身を守る術はあった方が良いです。
武術、武道、格闘技をやるなら、自分にあったものを選択すれば良いのだと思います。
少林寺の先生からは、結局
「本能が重要」
と教わりました。
システマのマスターも同じようなことをコメントしていたと思います。
自分の特徴、武器は何なのか、本能的に自分はどのように動いてしまうのか、を知れば、各自の強みを活かし弱みを補う方法が見えてくるのではないでしょうか。

おはようございます☀
クリフさんの何かしら身を守る手段をと言う話は有りだと和多志も思います😊
ですが個人的にはその考え方も少し思うところがあります。
合気道は明治維新同様に美化されている一面もあり和多志もやってましたが……。
スポーツ化、競技化が当たり前の昨今、本来の武道と言う道からは逸脱している。そう感じております😊
戦いを戒めるというのが日本の武道なのだと今この年齢になって感じている次第です🙏